自分の状況
基本的に仕事しなくていいなら仕事したくない。
どうも、シロウです。
ここでは、自分のうつ病の発端と、その後、どれくらい精神科のお世話になってるか、普段の生活ではどうしているかを書いていこうと思います。
あんまり楽しい話でもないけど「あーこいつ頑張って生きてたんだなー」って思ってもらえたらこれから先も生きれます。呪術廻戦が完結するまで死ねません。乙骨憂太をよろしくお願いします。
【事の発端】
元々ネガティブ思考で根暗なため、常に「消えたら楽になれるのでは」だったり、「この場から消えてどこか遠くへ行きたい」と考えてはいました。
ですが、その考えに「死ねば楽になるのでは」「もう死んでしまおうか」がプラスされ、それしか考えられなくなっていったのは祖母代わりだった大叔母の死でした。
元気な人でした。戦後を強く生きた人でした。自分の学校をやめて家族を支え、子供ができてからは子供を背負ったまま営林署で仕事をし、山の中で仕事をする人でした。
あまつさえ、大叔母は母を亡くした僕の母と妹(僕からすれば叔母ですね)の世話も見る、パワフルな人でした。
大好きでした。今でも大好きです。病院に入院したその日に、眠るように亡くなりました。
そこに重なって職場での転勤命令が出ました。家こそ変わらなかったものの、今まで車で5分だった通勤時間が30分に変わり、今までいた事業所と違う支援の方法に、とても戸惑ったのを覚えています。
所変われば品変わる。所変われば人も変わる。その変化に、僕自身がついていけなくなったのが始めですね。
そこで5ヶ月ほど働いたある日、家のドアが開けられなくなりました。
【その後は】
家のドアが開けられなくなった日、今でもお世話になっている精神科へ受診の予約をしました。
今でもなんとなく覚えているのが、「死にたい」って気持ちをメールに書いていたことです。
それが良かったのか(良くはねぇ)すぐに受診することができました。
診断結果は、うつ病でした。
自分は責任感もなく、基本的に長い物には巻かれろの精神でなあなあで生きていたつもりだったので、うつ病みたいな、責任感の強い人がなる病気にはならないだろう、と思っていました。
なっちゃいました。
で、なっちゃったものはしょうがないので、その日から投薬と通院がスタートしました。
仕事は休み休み、何とか行っている状態で、これはもうだめだと判断して12月末で辞めました。今思うとここやめずに休職してたら良かったんじゃね、と思いますが判断力ってなくなるもんなんですね、当時の自分はもうやめるしかないって思ってました。
【で、今】
うつ病3年目に突入しました、ほんで働いてます。しかもクローズで。
そしていま転職を考えるくらいにはなってます。二の舞です。やばいです。
うつ病の症状なのか、はたまた自分の特性なのか「こう」と思うと「こう」としか動けなくなってるんですよねほんと。
長いなこれ。読むの大変だったでしょ。僕からは何も出せませんがもし同じうつ病の人がいたら「自分は〜で、〜だった」みたいな話、聞いてみたいんでコメントしていってください。
次回は自分の趣味について話そうと思います。そんでは!
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